さらに無ければ無いで
2008/06/16(月) 23:59:31 [即席写真論] #
11/06
のSX-70フィルムだが、まだいける。フィルムの箱は風船のやうに膨らんでゐたが。同時期のものでカメラの中が大洪水になる場合もある。開けてみないとわからないものだ。何種類かのポラロイドフィルムで、あとしばらくは当りか外れかの籤引を繰返すことになる。でも外れなら外れで、それによつて見えるものもあるのである(と言ひ張るしかない)。ならば、さらに無ければ無いで、となるのかどうか。
日本でも、ポラロイドフィルム製造存続のための署名活動をしてゐるグループがある。
以下は少し広い視野でみた話。写真とは大量消費が前提の工業製品である。基本的に、いはゆるnicheとして生き残れるものではない。発明以来さういふ道具なのである。技術は、社会的有用性を失ひ、大衆の嗜好に合はなくなれば、捨てられる。効率・経済性に勝るものが残る。美しさや「味」は二の次である。たとへば、世界で最初に実用化された写真技術、ダゲレオタイプは、それより美しくはないが廉価で扱ひが簡単な技術に、あつといふ間に取つて代られた。写真の歴史は捨てられた技術、技法の墓場だ。
ポラロイドが藝術、表現の手段として優れてゐることを、最も積極的に示してきたのは、ポラロイド社自身、あるいは、ランド自身だつた。藝術家を支援し、一大コレクションを作り上げてきた。その志は販促以上のものがあつたのだらう。しかし、それだけを目的にフィルムを作り続けるわけにはいかない。
と、大きく言へば、ポラロイドが消えるのは必然なのだが、まだそれなりに惜しむ声もあるし、必要としている仕事もあるわけで、もうしばらくはどうにかならんのか、とは思ふ。






